しらこばと車輌工場

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東武鉄道1720系デラックスロマンスカー(DRC)
特急「きぬ」

マイクロエース 品番:A0872 東武DRC1720系 特急「きぬ」 6両セット

 MicroAceから製品化、発売された往年の東武特急。2004年の同社最高傑作の製品かもしれない。

路線情報

 東武鉄道は、神奈川を除く関東一円に鉄道路線を持つ明治30年創立の民間鉄道会社(私鉄)である。大手私鉄であり、日本全体では近鉄と名鉄に次ぐ第3位、関東でも第1位の路線網で、その距離は463kmにも及ぶ。路線系統は2つに大別され、浅草を起点とする伊勢崎線・日光線などの東武本線系統と、池袋を起点とする東上線系統が別々に存在している。路線によって、通勤・通学輸送、観光輸送、地域間輸送など、異なった性格を持つ。

実車情報

 予てから東武と国鉄は、首都圏の観光地として名高い日光への観光輸送で激しい競争を繰り広げていた。国鉄は1959(昭和34)年に157系を投入、準急「日光」として運用を始めた。東武ではこれに対抗すべく、従来からの1700系ロマンスカーに冷房搭載工事を行うほかに、1960(昭和35)年に1720系デラックスロマンスカー(DRC)を投入することとなった。つまり、1720系DRCは、1700系1721F編成以降の新造系グループである。東武の特急は2種類の特急が走り、国鉄に大きく差を開けていくこととなるが、1971(昭和46)年からは1700系ロマンスカーには車体更新工事が行われ、1700系DRCとなり、日光線系統の特急車両はDRCに統一される。

 最高速度は110km/hで、東武の栃木県方面の特急は東武日光行きの「けごん」と、鬼怒川温泉・鬼怒川公園・新藤原方面行きの「きぬ」の二本立てで決定付けられた。結果的に乗客獲得競争は東武に軍配が上がり、後に国鉄は日光方面への優等列車を徐々に撤退させていくこととなったのだった。長らく東武の優等列車として君臨し続けるが、デビューから30年余り経ち、DRCは1991(平成3)年までに100系スペーシアへの交代という形で引退、全車廃車となった。車体については、東武博物館で先頭部分が、埼玉県内の公園で先頭車が、栃木県のレストランで中間車が、それぞれ保存されている。なお、主要機器やシートはちゃっかり200系(特急「りょうもう」)に流用されて今に至るのは周知の事実である。

 今回の製品は、DRCの末期、つまり次世代特急車への交代目前の姿を再現したものとされる。

編成図

モハ1721(Mc)モハ1721(Mc) モハ1722(M)モハ1722(M) モハ1723(M)モハ1723(M) モハ1724(M)モハ1724(M) モハ1725(M)モハ1725(M) モハ1726(Mc)モハ1726(Mc)
モハ1721
(Mc)
6号車
モハ1722
(M)
5号車
モハ1723
(M)
4号車
モハ1724
(M)
3号車
モハ1725
(M)
2号車
モハ1726
(Mc)
1号車
← 浅草・北千住 東武日光・鬼怒川温泉・新藤原 →

 形式上の号車番号(1の位)は浅草側から数えるが、営業上の号車番号は東武日光・新藤原側から数えるのが東武の優等列車のルールである。また、クモハはモハと表記される。

各部のポイント

 模型各部のポイントとなる点についてをチェック。

先頭部

[写真準備中] 複雑な形状を再現。

 俗に“私鉄の国鉄”と呼ばれた東武だけあって、国鉄のボンネット型特急車を意識しかたのようなデザインの先頭車。マーカーランプまでが再現されているので細かい。また、乗務員室もほどよい緑系で成型されている。DRCの末期には、列車無線アンテナが設置されたほか、乗務員室には冷房装置が搭載され、その装置が先頭部分では目立つ。

台車と床下

[写真準備中] 台車はTRS56を再現。

 モデルとなった1721F編成は、新造グループであるため、1700系とは異なる新しい床下機器と台車が装備されている。

屋上

[写真準備中] きのこ型クーラーほか。

 屋根上にはキノコ型クーラーがずらっと並ぶ。登場当時、東武で冷房を装備していたのはDRCだけであり、豪華設備を主張するアイテムの一つであった。MicroAceといえば繊細なパンタグラフであるが、無事に上げ下げできる製品であったのでよかったが、やはり扱いには慎重になりそうだ。

妻面

[写真準備中] これが噂のマジックドア。

 妻面の貫通扉は「マジックドア」はオレンジ色の透明なものだったが、末期は交換されたのか透明な窓部分が小さくあるだけになってしまった。

旧サロンルーム

[写真準備中] 一般席化された旧サロン室。

 4号車に設置されていたサロン室は、DRCの目玉設備であった。1988(昭和63)年に撤去、一般席化されてしまい、その面影はすっかりなくなってしまった。

ビュッフェ

[写真準備中] 特急らしい設備。

 2号車と5号車にはビュッフェが設置され、軽い食事ができたという。車内販売のお姉さんはこちらから車内を周っていたのかな?

座席表現

[写真準備中] 一般席のリクライニングシート。

 一般席のリクライニングシートは国鉄特急のグリーン車と同等のものだったそうである。そんな車内を見せるというのはもはやMicroAceのお家芸かも。

印刷表現

[写真準備中] 号車札と行き先サボ、車番。

 号車番号を書いた札と、行き先サボは2枚折ドアの脇に設置されていたが、これは印刷で表現されている。また、車体番号のみが記されている頃を印刷で再現している。

総評

 往年の東武特急の存在感を見事に再現している製品である。特にこれといって指摘するべき箇所はない。発売直後から売り切れた店が続出したということで、筆者は事前に予約しておいて正解であった。筆者が子供の頃に見かけた姿はこちらになるので、とても懐かしいものがある。時代設定的に考えると、100系SPACIA(TOMIX製品)や、更新された8000系、登場し始めた10030系(共にGREENMAX製品)など並べたいところである。

 仮に後になって構造上の欠陥などが生じるようなことがなければ幸いである。

参考文献、URI

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