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路線紹介
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南武線・府中本町駅を起点とし、埼玉県南部主要都市内を横断、千葉県内に突入し総武線・西船橋に至る営業キロが71.8kmの外郭環状路線。1973(昭和48)年に開通し、当時の国鉄の最新技術を結集して建設された路線である。「山手線に貨物列車を走らせない」ことを目的として貨物線として計画された。沿線住民からの要望もあり、101系1000番台(武蔵野線特別仕様車)による旅客列車を運行することになった。首都圏北部へ伸びる主要幹線との乗換駅が多数存在していることから沿線はベッドタウン化が進んでいる。年々旅客輸送量も増加の一途を辿り、現在では立派な通勤路線に成長した。「山手線に乗らずに通勤できる」という利点が生かされ、首都圏の貨物と人の流れを変えたことは評価に値するであろう。物流の変化で貨物列車が減ったといわれる現在でも、相変わらず旅客列車と貨物列車は交互に走っているのが特徴である。
京葉線開通後は西船橋から東京方面および海浜幕張方面へ乗り入れを行っており、幕張メッセ、ららぽーと、東京ディズニーリゾートなどへのアクセスも充実している。また、武蔵野線沿線にはなぜか公営ギャンブル施設が多数存在していることでも有名である。そんなわけで、休日は様々な夢を抱いた乗客で賑わっており、「むさしのドリーム」は大げさなネーミングではなさそうだ。
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実物車輌情報
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武蔵野線では、103系と205系が主力車輌として運用されている。基本的には千葉支社京葉車両センター(千ケヨ)に所属している編成がこれに充当されている。武蔵野線の8両化を実施するにあたり、1990年頃に5編成投入された。同線の103系と同じく電動車と付随車の比率が6M2Tと強力なもので、トンネル区間が多いことなどから地下鉄仕様に近い。京葉線用に続いて前面が丸みを帯びたデザインとなったが、正面は銀色となっている。他にもドア開閉装置に仕様変更が行われた最終グループである。武蔵野線では初めての新車で、このまま増備されるのかと思ったらたった5編成で製造終了という少数派となった。
なお、2002年頃から新車投入に伴い余剰となった山手線や中央・総武緩行線の205系が武蔵野線に転属しており、まもなく全ての103系を置き換えることになる。しかし、これらの編成は205系とはいえ初期車もしくは中期車となっており、正面は従来からのデザインである。電動車はVVVF化され5000番台となっている。
E2番編成は、先述したとおり新製配置された5編成のうちの1本である。このグループはJR化後に登場したこともあって、デザインが変更されたことが特筆される。帯はオレンジ、ホワイト、ブラウンの3色となっていて、武蔵野線の新しいラインカラーを定着させた。京葉車両センターへ移管後は、編成番号がM62に変更されている。
▲ 実車写真(クハ205-146側)。2001年1月頃、南越谷で撮影。
▲ 実車写真(クハ204-146側)。2002年10月頃、西船橋で撮影。
※ 京葉電車区は2004年4月に京葉車両センターへ組織・名称を変更した。
※ 武蔵野線の車両は2004年3月まで八王子支社豊田電車区(八トタ)所属だった。
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模型について
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KATOから1991年に限定品として8両セット、定価15,400円で発売された。基本的には205系京葉線色の仕様違いセットと認識して差し支えないと思われる。当時は8両用ブックケースがKATOにはなかったため、単品用クリアケースを4両分ずつ2セットの紙包装にした上でクリアフィルムで包んだ形態で発売された。実質8両編成を単品で揃えたのと同じような状態であったため、出し入れが非常に面倒だった。
従来のKATO製205系(山手線・関西線用)とは、当然のごとく前面デザイン、ドア窓、ラインカラーが異なる。そのほかに従来品はアーノルトカプラー用のカプラーポケットにKATOカプラーNを装備していたが、この製品は当初からKATOカプラーN・Bタイプが装備されている。ラインカラーは先述したとおり、オレンジ、ホワイト、ブラウンの3色で、ブラウンとホワイトは極めて細い帯となっている。これらの塗り分けは綺麗に施されている。逆に従来品と変わらないのは、先頭車(クハ205・クハ204)の信号炎管と列車無線アンテナ、パンタグラフ付き中間車(モハ205)の避雷器がそれぞれ別パーツとなっていて購入者が各自取り付けることになっている点である。
付属シールは、運行番号、行き先方向幕、路線名幕、8CARSステッカー、シルバーシートマーク、側面方向幕、号車番号札、弱冷房車ステッカーが収録されている。近年の製品とは異なり、運行番号、行き先方向幕、路線名幕はそれぞれ別々で貼り付ける仕様になっている。室内灯を入れれば行き先方向幕は光るように透明パーツが使われているが、運行番号と路線名幕の部分は透明パーツではないため光ることはないようだ。投入当時は6両編成が中心だったこともあって8両編成を示す8CARSステッカーが205系と一部の103系に貼り付けられていた。シルバーシートマークと共に1990年代の武蔵野線を再現するシールである。
モーターは5号車(モハ204-396)に搭載されている。編成全体ではほぼ中央に位置するのでバランスが取れているので問題はない。しかし、実物のモハ204-396は床下機器が少ないため、スカスカになっている。これは、MGの容量が増強されたために搭載数を減らしたためと推測される。
所属表記は「東トタ」で、東京地域本社豊田電車区を示す。1998年に八王子支社が発足するまで、豊田電車区は東京地域本社の管轄となっていたためだ。JR化後に登場した車両なのだが、JRマークが印刷されていないため、各自でJRマークインレタを別途購入する必要がある。
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編成図
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連結すると、下記のような8両編成になる。
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クハ 205-146 (Tc) |
モハ 205-395 (M) |
モハ 204-395 (M) |
モハ 205-396 (M) |
モハ 204-396 (M) 動力車 |
モハ 205-397 (M) |
モハ 204-397 (M) |
クハ 204-146 (Tc) |
← 東京・西船橋 |
東所沢・府中本町 → |
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製品画像
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製品の画像を、ピックアップしてご紹介。
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先頭から
マイナーチェンジされた前面を的確に再現。前面窓の黒縁に丸みを取り入れ、ヘッドライト・テールライトは下部に整理収納されるなど、国鉄ではなくJRであることを主張し、武蔵野線の新時代の到来を予感させるデザインである。
8CARSステッカーは当時の順次8両化が行われていた最中に8両編成を示すために貼られていた。1996年に全列車が8両化完了した後に剥がされた。
製品にはJRマークが印刷されていないので、こちらはそのうちインレタを転写しようと考えている。
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先頭車の側面
205系は増備途中から客用ドアの窓が大きいものに変更された。当然、武蔵野線に配置された車両もそれに該当している。
当時の先頭車の端部にはシルバーシートが設けられており、窓の脇にシルバーシートマークが貼られていた。1997年にシルバーシートから優先席に変更され、このマークを見ることは無くなった。
先述した通り、JRマークの印刷は行われていないので、別売りのインレタを転写しないと正しい再現とはならない。側面は黒のJRマークになる。
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所属表記など
「東トタ」が時代を感じさせる。
なお、製品に当初から装備されていたKATOカプラーNは一部の車両で破損してしまったため、写真隅に映っているように密連形に交換した。
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全景
筆者が小学生の頃、親に買ってもらったものである。シールは自分で貼り付けたが、当時の技術力ではあまり綺麗に貼ることはできなかった。10年以上の歳月が流れ、追い討ちをかけるかのようにシールのズレが目立つようになってきた。近いうちに余りのシールでレストアしたほうが良さそうだ。
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総評
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JRマークの印刷有無、動力車となったモハ205の床下が実車と異なってギッシリとなっている点が残念であったが、気にするほどではないだろう。全体的に綺麗な仕上がりとなっている。
沿線住民としては、中古車だらけの武蔵野線に205系が新製投入されたことは驚きだったが、それがすぐに製品化されたことも驚きであった。実車同様の人気となったことは容易に想像できる。また、当時のシミュレーションゲーム「A列車で行こう4」にも収録された車種であることも特筆される。
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参考
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このページを編纂するに当たり、下記サイトを参考にした。