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秩父鉄道 2000形電車(第1回)
2001F編成

 これは、1997年頃に作成した模型の記事で、原文の執筆は1999年頃であるため一部修正・加筆している。あとになって読み返すと、高校時代の少ない小遣いから製作費用を捻出していたため、経済的な苦労が…。

実車情報

 製作当時は良かったのだが、現在では実車が廃車されて存在しないため、手元の古い資料のみで解説する。

路線紹介

 秩父鉄道は、埼玉県内に鉄道路線を持つ明治32年設立の民間鉄道会社(私鉄)である。羽生〜熊谷〜三峰口間の71.7キロの秩父本線のほか、武川〜熊谷貨物ターミナル間の貨物線7.6キロも保有している。駅数は全部で38駅である。中小私鉄でありながら、旅客輸送と貨物輸送を共に扱っている。旅客輸送は国鉄や都営地下鉄から払い下げ車によって行われている。かつては自社発注の電車が用いられていた。貨物輸送では石灰石やセメントなどを長編成の貨物列車で運行している。また、蒸気機関車「パレオエクスプレス」の運行はSLファン、鉄道ファンでなくても魅力ある列車となっている。埼玉県北部の景勝地「長瀞」「秩父」を沿線に控えており、観光事業にも積極的である。花見やハイキングなどの季節イベントを企画したり、荒川上流での長瀞ラインくだりや宝登山ロープウェイの運行にも携わるなど、多彩な顔を持つ鉄道会社である。他社からの乗り入れは現在では西武鉄道からの列車のみであるが、かつては東武鉄道東上線や国鉄からも臨時列車の乗り入れが行われていた。

■関連本をさがす:『秩父鉄道の100年―保存版』、『秩父鉄道新風土記

解説

秩父鉄道2000系
1997年2月頃撮影/羽生駅

 500形電車の置き換え用として、1991年に東京急行電鉄(以下、東急)から購入した電車である。入線に当たっての改造は貫通路の扉取りつけと、列車無線機の取り替え、帯の色をスカイブルーに変える程度。東急時代と同様の4両編成で運用された。しかし、1999年、秩父鉄道の日中ワンマン運転化に伴い、4両編成ではワンマン運転に不向きのため、非冷房のまま廃車となった。秩父鉄道では後釜として、都営地下鉄から三田線用6000形を導入している。

編成図

デハ2301 デハ2301 デハ2201 デハ2201 デハ2101 デハ2101 デハ2001 デハ2001
デハ2301 デハ2301 デハ2201 デハ2201 デハ2101 デハ2101 デハ2001 デハ2001
デハ
2301
(Mc)
デハ
2201
(M)
デハ
2101
(M)
デハ
2001
(Mc)
← 羽生・熊谷 影森・三峰口 →

 見ての通り、4両編成全車が電動車。埼玉県秩父地方は勾配区間が多いため、秩父鉄道ではこのような出力の大きい車輌が重宝されているようだ。

はじめに

計画倒れ

 初めてのGMは大失敗とみて良いだろう。続いては何を作ってみることにしようかなと、GREENMAXカタログを見ていた。GMは、そもそものキットで基本的な車両を作る以外に、応用として別パーツを用いることにより違う車両を製作することができるのだ。その点に注目してみた。

 その、応用として営団地下鉄3000系の写真があった。日比谷線で活躍後、現在は長野電鉄で走っている車両である。その3000系を作るためには、東急7000系のキットを応用する事によって作ることができるとの事。これは面白いので決定したのだった。

 御徒町に鉄道模型が廉価販売されている「ゼア」(現在の「鉄道模型C62」にあたる)があるので、二割引という値段で購入。自宅へ帰って箱を空けて説明書を読み、部品類の確認、それに後日購入すべき塗料スプレーや台車、パンタグラフなどの確認をした。部品の中に、営団3000系のマスクが入っていたので、これを使えば日比谷線のできあがりネ〜なんて浮かれた気持ちで部品を確認していた。しかし、落ち付いて考えてみよう。営団3000系も東急7000系も乗り入れという共通項があるのは当然だが、18m車体という点以外、同じ車体をしている訳が無いのである。東急7000系は営団3000系より窓が若干大きい。ドアの形も微妙に違う。それに、営団3000系は張り上げ式の屋根なので雨どいが上がっているのに対し、東急7000系は至って普通の屋根である。これだけ違いがあるのに、私のような初心者が改造を行って、営団3000系を作ろうなどというのは無謀な計画なのである。

転機

 以上のような理由から、営団3000系作りは計画倒れとなった。しかし、せっかく買ったキットを無駄にするわけにもいかないので、そのまま東急7000系を作ることにするか……。そうなると、赤い帯につかう赤いスプレーが必要になる訳なのである。なんだか説明書どおりに車両を作ることには気がすすまない。箱の中をもう一度見ると、なにやら一枚の紙が四つ折にして入ってあった。開いてみると、東急7000系の改造例が数種類掲載されているのだ。そう、東急7000系と言えば、当時東急ではこどもの国線用の車両と、7700系に改造された車両を除いて、地方私鉄に譲渡されたものが多数を占めていた。それを踏まえて、福島交通7000系、弘南鉄道7000系、北陸鉄道7000系、秩父鉄道2000形、水間鉄道7000系の5社の車輌への改造方法が掲載されていたのである。選択の余地はまだ残されていたのである。

 この中で、実物を見たことがあり、かつ乗ったことがあるのは秩父鉄道2000系ただひとつ。東急電鉄の赤に対して、秩父鉄道はスカイブルーであり、変り種としては面白い。それに、東急時代とほぼ同じ姿であり、他社のように乗務員室を増設するなどといった特に大きな改造が行われていない事も考えると、初心者の私にとっては最適である。素直に説明書通りに作って、「日比谷線直通」ステッカーをつければいいのに、どうしても変り種を作ってみたくなってしまったので、秩父鉄道を製作する事を決意。そして、この先秩父鉄道ファンとして突っ走り始めたということは、言うまでも無い。

製作記事

 長かった前置きの後、ようやく秩父鉄道2000系の製作に取りかかった。

材料

 プラ板が必要であること以外は、東急7000系を作るときと何ら変わりが無い。

改造事項

 秩父鉄道2000形の製作では、若干の改造が必要である。埼玉県北部・秩父地域の冬場はとても寒いことから、実車には貫通路に扉を設置するという工事が施工された。これは、国鉄(JR)211系の1000番台が半自動ドアになっていることと条件としては一緒である。模型でもこれを再現する為にプラ板を切って、車端部妻面に取りつけることになっている。プラ板が手持ちでなかったため、厚紙を切って貼りつけるという手段をとることにした。

加工

 続いては、東急7000系を作る場合に必要な作業である。キットに入っている屋根板は4枚とも共通の彫刻が施されている。これは製作する車両に合わせて、パンタ台を削ったり、通風口用の突起、それにアンテナ線を削ったりしなくてはならないのである。全ての屋根に必要な加工であるため、少々面倒である。側板を取り外す時には、床下方向へ伸びる謎の突起部分を誤って切断しないように気をつけねばならない。東急7000系の特殊な部分である。以上の事に気をつける。

塗装

 今回は、塗装を行ってから組立をする事にした。私にとっては塗装のほうが問題である。基本的には屋根、車体、床下の3部構成の状態にしてある。屋根はグレー、床下は黒と、単色塗りなので問題無しである。車体は銀色に塗って、スカイブルーの帯を前面に塗装しなければなりません。車体を銀色に塗って、顔は銀色に塗った後、マスキングテープで帯の部分を残し、そこへスカイブルーを吹きつけることにした。

 実は、これが失敗の元なのであった。銀色の塗料は他の塗料をはじく性質があるため、せっかくマスキングをやったつもりでも、弾かれて塗料の乗りが悪い上に、車体とマスキングテープの隙間に流れ込み、汚くなってしまったのだ。

組み立て

 このあと、塗装が乾いた所を見計らって、組み立て作業である。それぞれの部品を向きを間違えないように接着する。また、接着剤がはみ出ないように気をつけねばならない。せっかくの塗装が接着剤によって剥げてしまうからだ。

デカール

 接着剤が乾いたあとに、デカールを貼りつける作業。デカールとはシールとは異なり、絵を転写する事である。必要な絵(マークなど)を切り、水に浸して、台紙から外し、貼りつける。今回は、東急ロゴマーク(TOKYU CORPORATION)ではなく秩父鉄道のロゴマーク、2000形の形式番号を貼りつける。番号は第1号編成にした。また、先頭車には行先を貼りつける。行先は、「三峰口」「影森」「熊谷」「羽生」の4種類から選択できる。今回は三峰口行きとした。ちなみに2000形は、羽生−三峰口間の通し運転を行う事が多かったと記憶している。デカールは細かい作業であるが根気強く続け、無事に定位置に貼り付けが完了した。

表面保護

 デカールを使ったときは、クリアスプレーを吹きつけて、塗装と共に表面を保護する。前回40系を作ったときはクリアスプレーを使わなかったので、今回が初めての使用となる。クリアスプレーは透明なので、吹きつけても、ちゃんと塗装できたのかがわかりづらいため、気がついたら厚塗りになっていた。しかも、一部では泡がたっているところや、乾いたらボロボロ崩れ落ちてしまうところもあったりして、クリアスプレーは難しい。薄く塗る事が肝要である。

その他・仕上げ

 今回、東急7000系に使うパイオニア台車は、京王井の頭線3000系に使う「グレー」のものは発売されているものの、東急用の「黒」は発売されていない(※作成当時)。面倒であるが、いちいち黒く塗らねばならないようである。プラスチックの材質が違うので、黒く塗った所ではすぐにはがれてしまった。これはまた厄介である。

 最後に、車体に窓ガラスを接着して、床下部分に台車をはめこんで車体と組み合わせ、パンタグラフを屋根に取り付けて完成である。なんとかできあがった、という感である。どうも納得のいかない出来である。今回の失敗は次にステンレス(またはアルミ)車両を作るときに、役立つ事だろう。

作品画像

デハ2301

デハ2301

 羽生側の先頭車。なぜかベンチレーターを無塗装にしてしまった。また、帯の塗装に失敗しているため、貫通扉のステップ部分にもスカイブルーが…。

デハ2201

デハ2201

 パンタグラフの無い中間電動車。こちらはベンチレーターも塗装したのだが…。

デハ2101

デハ2101

 パンタグラフ付きの中間電動車。また無塗装にしてしまったベンチレーター。動力ユニットはこの車輌に装着している。

デハ2001

デハ2001

 三峰口側の先頭車。ベンチレーターも塗装。ベンチレーターに塗装をするのかしないのか、どちらかにするべきであったかもしれない。

改造点

改造点

 デハ2301を除く各車の、羽生側の妻面には貫通扉(外付けの戸袋)を取り付ける。今回は厚紙を切って取りつけた。

 今回の作品は完全に失敗作であるため、リベンジを誓うこととした。次回は、今回の失敗を踏まえた上で、製作に臨みたい。

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